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No.438投稿日時:2002/02/01(金) 00:23  <↑親記事:No.435>
投稿者:K <E-Mail>

購入できました

こんばんは、

私も本日、件の盤を購入しました。
横浜駅に着いたのが21:20、充分間に合うと思って行ったところ、HMVが入っているビブレの扉が私の眼の前で閉められ、かなり焦りましたが、そういえば駅からだと裏に当たる入り口がHMVとしての表口であるということを思いだし、廻ってみて無事購入できました。

店内に5番第4楽章のフィナーレがガンガン響いていましたが、レコード店の店内で聴くとどんな録音でもたいがい良く聞こえるのに、今回はぱっとしなかったので、ちょっと不安になりました。

私はおいしいものはあとにとっておく寂しい人間なので(w、先に6番を聴いています。
低音すごいなぁ。

>  「低域過多」はこの時期のカラヤン録音についての特徴と思っています。

ううむ、低音過多ですか。
私は低音に重点が置かれていても、全体としてはよく混ざっているように思っていました。
大昔「ドンシャリ」という言い方がありましたが、EMIについてそういう風に思ったことはなく、むしろDGの方がバランスがあまり良く思えません。
まあ、詳細に書くとゲンナリを通り越して憤りさえ感じられてしまうほど貧弱な再生装置を使っている私にも罪はあります。

>  ただ、カラヤンの録音でもモーツァルトの管楽協奏曲はざらつき気味だと思うのですがいかがでしょうか。

私の盤は非ARTで、いま試しに聴いています。
確かに強い音が高い音のとき、ちょっと「ざらつく」感じはあるかも知れません。
しかし比較するならさっぱりしたDGより残響の捉え方見事で、決して誇張しているわけでもなく、美しいと思いますが、いかがでしょうか。
ちょっと残響過多なのではないかと思えるような《フィデリオ》全曲の序曲の冒頭部分など、決してDGには真似出来ないと思うのですが。
DGの6〜70年代の場合は強い音のときに本当の「強い音」が出せず、限界に来てしまうため、逆にその部分だけ窪んで感じることがあります。
EMIはこのモーツァルトの協奏曲集のように、多少「ざらつく」ことはあるかも知れませんが、抜けが良いというのか何というのか、素直に安心して聴くことが出来るように思えます。

> ミサ・ソレムニスやハイドンの「四季」にはそういう印象はありません。

余談ですが私はこの《四季》が好きで、ART化されないかと思っています。
今度出るのはARTかどうかは知りませんが、抜粋だし。

> 「リミックス」というのが適当なのかもしれません。

そうですね。
音質も絶対ではなく、時代によって「良い音」というものの解釈が違います。

> ただそうなると実際にその演奏を聞いた人が担当するのとそうでないのとで大きな違いが出るでしょう。CBSのワルター盤で「マックルーアがリミックスを担当」というのがありましたが、グロッツがリミックスをやるとどうなるでしょうね。

カラヤンはグロッツについて「私と同じ耳を持っている」と言っていましたが、だとしたらカラヤンの耳はあまり私の好みではないところもあるのですが(w、しかしやはり現場で録音に立ち会った人間が妥協せずに「リミックス」して商品化されるのが、現代の聞き手としての夢ですね。
演奏者同様、スタッフだって、永遠の命を持っているわけではありませんから、そういう企画がもしレコード会社内部にもあるのなら、是非とも早めに実現して欲しいところです。



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