《Anton顧問、資料室長のページ》 (最終改訂:2007.3.3.)
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Anton Platz
Anton Bruckner / Herbert von Karajan

「カラヤン・ブルックナー資料室」の顧問、資料室長 Antonのページです



(1)「ナゾのフルートの2小節〜交響曲第5番〜」
(2)「Antonのブルックナー演奏会体験記録」
(3)「Antonのロマンティックコレクション」
(4)「Antonの指揮者論」
(5) カラヤン縁の地(画像):Anton Platz 2


(1)「ナゾのフルートの2小節〜交響曲第5番〜」

「ナゾのフルートの2小節〜交響曲第5番〜」(Anton,2002.1.27.)



 いろいろな曲のスコアを眺めていると不可思議な箇所を見つけることがある。

たとえばベートーヴェン。恐らく彼は当時の楽器のキャパシティを考慮したのであろう、音の動きに

不自然さを見つけることができる。エロイカ第一楽章コーダにおけるトランペット、運命第一楽章の

有名なファゴット、あるいは第九の第一楽章や第二楽章でも旋律の中に不自然な跳躍があり、それら

多くは現代の指揮者によって修正が施された後に演奏されている。

別なケースではチャイコフスキーの交響曲第4番の第四楽章コーダ、一番最後の小節にはなぜかトラ

イアングルが一発鳴らされるように指示されている。打楽器群ではティンパ二以外はトライアングル

だけなのでスコア通りに演奏するとやや違和感をおぼえるのだが、カラヤンは76年のディスクでは

シンバルと大太鼓を追加しており、その違和感に悩まされることはない。

(晩年のVPO盤ではスコア通りに演奏されている。)



 ブルックナーの交響曲に、一箇所不自然なフルートの動きがあるのはご存知だろうか。

5番のフィナーレ、トランペットが第一楽章第一主題を高らかに回帰させるその直前にナゾのフルー

トの2小節が存在する。(下の楽譜を参照)

ここは言うまでもなく金管楽器によるコラール主題が頂点に達し、fffでトゥッティが第一主題のテ

ーマを導く場面なのであるが、オケが壮大に鳴っている最中、フルートだけが他のパートにはない上

昇音形を吹かねばならないのである。

数種類のディスクを聴いたが、私が聴いた中ではスクロヴァチェフスキーとアバドがこの2小節に着

目しているようである。(ただしアバドのディスクは未聴、BPOとの名古屋公演での体験に基づく。)

まずデュナーミクをスコア通りに再現するとまずこの部分はかき消されてしまう。

しかしブルックナーはこの部分を浮き出させるための具体的な強弱の指示はしていない。

そのためスクロヴァとアバドはトゥッティの音量をワンランク落とし、フルートのパッセージを強調

しているのだが、そのあとにまたffに戻さなくてはならない。スクロヴァはいきなり戻さず少しク

レッシェンドするように演奏させているのだが足どりが軽くなったようで重量感が失せ、何か肩透か

しを食らったような印象を受けてしまって個人的には好きになれない。

 しかし作曲家は何を思ってあの2小節を加えたのだろうか。

この曲の木管楽器の扱いを見るとその特徴として、ffでオケがフルになっている部分ではユニゾン

が目立ち、あまり分厚い和声を構築していない。この第四楽章コーダだけを見ても、Choralと書かれ

ているところからは主導権は金管に委ねられ、sempre fff以外の強弱指定はない。木管は常に付点

付きのリズムを繰り返すのみである。

しかし問題の箇所の前にフルートだけ6小節の休みがあり、3小節全音符でFを鳴らした後上昇パッ

セージが登場するのだがこれだけではブルックナーの意図を探る手がかりにはなり得ない。

多くの指揮者はとくに重要視している様子もなく、あまりとらわれる必要もなかろう。

もしタイムマシーンでブルックナーに会うことができたら、彼の解釈を聞いてみたいものである。


                         交響曲第5番変ロ長調、第4楽章(619-625小節)


(2)「Antonのブルックナー演奏会体験記録」

「Antonのブルックナー演奏会体験記録」(Anton,2002.3.11.)




ブルックナー:交響曲第0番二短調(1869)



   1993年7月 :某アマチュア・オーケストラで演奏





ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(1878/80)



   1988年4月 :某アマチュア・オーケストラで演奏

   1993年4月 :セルジュ・チェリビダッケ指揮、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

              大阪、シンフォニー・ホール

   1993年    :ホルスト・シュタイン指揮、ハンブルク交響楽団

        大阪、フェスティヴァル・ホール 





ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(1878)



   1991年   :朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー管弦楽団

        大阪、フェスティヴァル・ホール

   1998年6月 :朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー管弦楽団

        大阪、フェスティヴァル・ホール

   1998年10月23日:クラウディオ・アッバード指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

          名古屋、愛知県芸術劇場コンサート・ホール

   2002年3月10日 :ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

          大阪、シンフォニー・ホール





ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(1883)



   1999年11月 :朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー管弦楽団

        大阪、シンフォニー・ホール





ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(1887)



   1990年11月 :ギュンター・ヴァント指揮、ハンブルク北ドイツ交響楽団

        大阪、シンフォニー・ホール

   199?年    :朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー管弦楽団

        大阪、フェスティヴァル・ホール

   1993年3月27日(土):ロリン・マゼール指揮、バイエルン放送交響楽団

        大阪、フェスティヴァル・ホール

      


(3)「Antonのロマンティックコレクション」

「Antonのロマンティックコレクション」(Anton,2002.4.28.-29.)



 交響曲第4番変ロ長調「ロマンティック」のコレクションです。



(1)ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI、71年)

(2)ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(DG、75年)

(3)ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(FKM、75年ライヴ)



 上記3点が今聴くことのできるカラヤンのディスク。私個人は(2)もしくは(3)を取りたい。

71年盤はBPOの限りない荘厳な響きが堪能できる。カラヤンがこのオケに求めた理想のサウンド

を120%体現しているのではないかと思われる。

(2)はわずか4年後であるにもかかわらず印象はがらっと変わっているのがおもしろい。71年盤

のゆったりしたテンポはここでは引き締められ、大きな広がりをみせたロマンティックは強力な

推進力という動力を得て曲を進めていく。フレージングには大きな変化は見られない。冒頭ホル

ンが現れ、フォルテシモへ向かうクレッシェンドの雄大さには耳を奪われる。なお、カラヤンは

ブルックナーの弟子による改訂版に準拠していると思われるスコアの変更を随所で行っている。

(3)はDGへのレコーディングとリンクさせたと思われる演奏会のライヴである。内容は当然な

がらDG盤とほぼ同じであるが、技術処理加工を施されていない演奏は多少の傷はあるものの、

DG盤に臨場感と緊張感をプラスしたようでこれも好きなディスクである。



(4)ヘルベルト・フォン・カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                     (ANF、79年ライヴ、ただし偽カラヤン)

 表示はカラヤンであるがどうやら中身はザンデルリンクであるらしい。カラヤンのロマンティ

ックを聴きなれている人はこの演奏がカラヤンでないのはすぐ判るであろう。録音状態は悪くは

ないのだが音の抜けが悪く、オケのコンディションがもうひとつつかみにくい。ホルンのアン

サンブルはやや雑である。とはいえ、演奏自体は指揮者の解釈によって大きくデフォルメされる

ことなく比較的聴きやすい。



(5)クラウディオ・アバド ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(DG、90年)

 全体的にオーソドックスな印象を受け、またVPOの美しい響きが魅力的である。なぜか第一楽

章ティンパ二が聞こえない。コーダになってやっと顔を出すのだがこれはアバドの指示によるも

のか?録音のせいか?なお、ブルックナーの曲は弦楽器によるトレモロが多用されるが、私が聴

いた中でそのトレモロが一番美しいのはこのディスクである。



(6)オイゲン・ヨッフム ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(EMI、75年)

 テンポをたくみにドライヴしているのがわずらわしい。かなりはっきりしたアッチェランドは

ブルックナー演奏には相応しくないと思うのだが。それさえなければ私のベストチョイスになっ

てたかも。ドレスデンのいぶし銀のサウンドはすばらしい。



(7)スクロヴァチェフスキ ザールブリュッケン放送交響楽団(ARTE NOVA 98年)

 この指揮者は、「ブルックナーのスコアを鏡張りにしたい」というコメントを残しているだけ

あって、細部にこだわった演奏である。5番にくらべると不自然さはそれほど感じない。提示部

のブルックナーリズムはかなり野暮ったいが再現部ではすっきり修正されている。



(8)ゲオルグ・ティントナー ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(NAXOS 96年)

 すくなくともレコード史上におけるブルックナー演奏のキャリアのないこの両者のディスクに

興味のない方、このオケのホルンだけでも聴いて欲しい。朗々と響き渡るホルンは鳥肌もの。

ティントナーは自然体という形容が使われるが、よく聴けば細部にしっかりとした自己主張があ

る。



(9)ゲオルグ・ティントナー ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団(NAXOS 98年)

 第2稿による第4楽章だけを00番とカップリングしたディスク。



(10)エリアフ・インバル フランクフルト放送交響楽団(TELDEC 82年)

 いわずと知れた、第一稿によるディスク。3、4楽章はもはや別の曲といっていい。演奏はど

うであれ、同じ曲を違うヴァージョンで聴けるのが楽しい。



(11)クラウス・テンシュテット ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(EMI、81年)

 テンポに重厚感があり、聴いていてすこし疲労感をおぼえる。トランペットのベルのまん前に

マイクを置いているのではないかと思ってしまうほど音が生々しく、グロテスク。



(12)ダニエル・バレンボイム ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

                       (WOWOWで放送されたライヴのビデオ)

 ビデオに録画したものの、あまり観ていないのでコメントは無し。



(13)某アマチュアオーケストラのコンサート記録(Antonが参加したオケのライヴテープ)

 参加者にとっては記念写真的価値のみ有する。今となっては鑑賞するに堪えない演奏である。

アマチュアにブルックナーはさすがに厳しい。





 下記のディスクは諸々の事情により、売却処分したディスクです。

  ヴァント BPO

  ヴァント 北ドイツ放送響

  ヨッフム BPO

  ブロムシュテット ドレスデン国立

  ベーム VPO


(4)「Antonの指揮者論」

「Antonの指揮者論」(Anton,2002.7.11.)



 指揮者の是非について、私の経験による私見を述べたいと思います。

我々が何気なく、楽しみながら聴いている音楽、その音楽を奏でている人々はさぞかし気持ち

よかろうとお思いになられる方は居るかもしれませんが、決してそうではありません。もちろ

ん、演奏しながら楽しく感じるときもありますが、どちらかといえば冷静に、かつとてつもな

い集中力を持って演奏しなければならないことのほうが多いのです。それには緊張感が必要と

なってきます。



 オーケストラのプレーヤーは例外なく、指揮者の棒にしたがって演奏しなければならないと

いう訓練を受けています。ベルリンフィルだってそうです。指揮者無しでの演奏をしたとして

も、必ず指揮者の代わりを務めなければならない奏者が存在します。コンサートマスターや、

箇所によってはソロ楽器がその代役となります。また、自発的とかいう言葉を聞きますが、

これは当然、その奏者が好き勝手に演奏しているわけではありません。



 しかし、厳格に指揮者の棒を頼らなくても演奏できる箇所も当然あります。軽く合図を出し

てテンポを与えるだけでいい場合もあります。そういう時は無理に棒で引っ張らないほうがい

いのです。



 さて、カラヤンはリハを綿密に行い、オケに叩き込んでから本番に臨みます。カラヤンが

よく言っていた言葉は「オケの邪魔をするな」ということです。リハは徹底的にやってるから

あとは最低限の指示以外は本番はオケに任せることができるのです。そのため、カラヤンの

棒は所によってはアバウトな印象を与えますが、映像をよくみると、ここぞというときはかな

り明確な指示を出しているのが確認できます。(体が不自由になっていた晩年でさえ。)例え

ば曲の開始、明確なテンポを与えるべきところでは余拍を必ず一小節分とっています。テンポ

が定まればあとはオケに任せられる、というわけです。



 先述したように、オケは指揮者の動きに敏感に反応します。カラヤンの微妙に手を振るわせ

たところでBPOのヴァイオリンから甘いレガートが生まれる。「死と浄化」で確認できます。

カラヤンには無駄な動きがないといっても差し支えないでしょう。