《ブルックナーの楽曲とカラヤンの演奏》序    (最終改訂:2009.10.4.) トップページに

Alle Werke von Anton Bruckner / Herbert von Karajan


ブルックナーの交響曲と声楽曲の作曲経緯に関しては以下の資料を参考にしました。


(2)『作曲家別 名曲解説ライヴラリー5 ブルックナー』 音楽之友社、1993年刊
(3)タプカルのブルックナー基礎情報ページ
 (このページのURLはhttp://www.mars.dti.ne.jp/~nakataka/index.htmですが、現在リンクが切れているようです。)
(4)Bruckner Symphony Versions:David Griegel氏によるものです。
 (URLはhttp://www.geocities.com/dkgriegel/versions.htmlです。)

Stift St. Florian / Stiftsbasilika St. Florian



 ブルックナーは1891年に66歳でウィーン音楽院を退職しました。この時、ウィーン大学から名誉博士号

を授与されました。その時ウィーン大学学長は次のように挨拶し、ブルックナーの功績を称えました。



   「学問が、乗り越えることが不可能な垣根の前に、その歩みを止めなければならない所

   から、芸術の領域が始まります。芸術は、あらゆる知識の及ばぬものを表現する事が出

   来るのです。だから、ウィーン大学の学長は、かつてのヴィントハーク村の補助教員の

   前に、こうして身をかがめるのであります。」





 ブルックナーの作品を考える上で交響曲と声楽曲は切り離すことのできないものと思います。

交響曲はテクストなしの声楽曲、声楽曲はテクスト付きの交響曲と考えることが出来るように

思っています。

 交響曲声楽曲の個々の作品については、別のページに書きますので、ここでは、ブルックナー

の作品リストとして交響曲、声楽曲の作曲の経緯を見ていきます。



 Anton Bruckner:1824.9.4.-1896.10.11.



1849:                            レクイエム ニ短調

1850:

1859:

1851:

1852:                            詩篇第114番ト長調

1853:

1854:                            ミサ・ソレムニス変ロ長調

1855:

1856:

1857:

1858:

1859:

1860:

1861:

1862:

1863:交響曲第00番へ短調                  詩篇第112篇変ロ長調

1864:                            ミサ曲第1番二短調

1866:交響曲第1番ハ短調(リンツ稿)

1866:                            ミサ曲第2番ホ短調(第1稿)

1868:                            ミサ曲第3番へ短調

1969:交響曲第0番二短調

1872:交響曲第2番ハ短調(第1稿)

1873:交響曲第3番二短調「ワーグナー」(第1稿)

1874:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(第1稿)

1876:                            ミサ曲第1番二短調(改訂)

1876:                            ミサ曲第3番へ短調(改訂)

1876:交響曲第2番ハ短調(改訂第1稿)

1876:交響曲第5番変ロ長調

1876:交響曲第3番二短調(アダージョ第2番)

1877:                            ミサ曲第3番へ短調(改訂)

1877:交響曲第3番二短調(第2稿)

1877:交響曲第2番ハ短調(第2稿)

1878:交響曲第3番二短調(第2稿、改訂)

1878:交響曲第5番変ロ長調(改訂)

1878:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(第2稿)

1880:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(新フィナーレ)

1881:                            ミサ曲第3番へ短調(改訂)

1881:交響曲第6番イ長調

1881:                            テ・デウム ハ長調

1882:                            ミサ曲第1番二短調(改訂)

1882:                            ミサ曲第2番ホ短調(第2稿)

1883:交響曲第7番ホ長調

1885:                            ミサ曲第2番ホ短調(第2稿、改訂)

1887:交響曲第8番ハ短調(第1稿)

1889:交響曲第3番二短調(第3稿)

1890:交響曲第8番ハ短調(第2稿)

1891:交響曲第1番ハ短調(ウィーン稿)

1892:                            詩篇第150篇 ハ長調

1893:                            ヘルゴラント ト短調

1893:                            ミサ曲第3番へ短調(改訂)

1894:交響曲第9番二短調(第1−3楽章)

1896:                            ミサ曲第2番ホ短調(第2稿、改訂)





 カラヤンは交響曲では第1番(リンツ稿)、第2番、第3番(第3稿)、第4番「ロマンティック」

(第2稿)、第5番、第6番、第7番、第8番(第2稿)、第9番の録音を残しています。

 声楽曲は残念な事に「テ・デウム」の録音しか残していませんが、ミサ曲第2番は演奏会で取り上げ、

放送された記録もあるようですので、いずれ聴く事が出来るかもしれません。

(追記:ミサ曲第2番の1975年ザルツブルク精霊降臨祭音楽祭ライヴを2005年6月に聴くことができました。)



 カラヤンの演奏で聴く事の出来ない曲は他の指揮者によるものを選ぶしか方法はないのですが、

私自身が楽しみにしているのはカラヤンと同じオーストリア出身の若手指揮者フランツ・ウェルザー=

メストです。今のところ交響曲第5番、第7番、ミサ曲第3番、テ・デウムのディスクしか出ていませ

んが、ミサ曲第3番は大の愛聴盤です。

もっとも、「カラヤンの演奏ならばどんなに素晴らしかったことか」という気持ちはありますが。




Stift St. Florian / Stiftsbasilika St. Florian


リンツ郊外ザンクトフローリアン修道院があります。
ここの付属教会(バジリカ)にブルックナー縁のオルガンがあり、
ブルックナーもここに眠っています。

聖フローリアン修道院 (Stift St. Florian )

(2009.9.25.)

聖フローリアン修道院バジリカ ( Stiftsbasilika St. Florian ) への入り口

(2009.9.25.)

聖フローリアン修道院バジリカ ( Stiftsbasilika St. Florian )

(2009.9.25.)

聖フローリアン修道院バジリカ ( Stiftsbasilika St. Florian )

(2009.9.25.)

聖フローリアン修道院バジリカ ( Stiftsbasilika St. Florian )

(2009.9.25.)

聖フローリアン修道院バジリカ ( Stiftsbasilika St. Florian )

(2009.9.25.)

聖フローリアン修道院バジリカ ( Stiftsbasilika St. Florian )

バジリカ内から見た入り口
この写真には写っていませんが、上にブルックナー・オルガンがあります。

(2009.9.25.)

聖フローリアン修道院バジリカ ( Stiftsbasilika St. Florian )

ブルックナー・オルガンの真下に当たる床にはめ込まれた墓碑。
Anton Bruckner
1824 - 1896

(2009.9.25.)