News Archive

2004

▲UP6月24日

ARCHIPEL盤の《英雄》について


先日のARCHIPEL盤の《英雄》について、おそらく日づけが間違っているであろうと思いながらも、既出盤未入手のため比較できませんでしたが、このサイトをご覧の方から、WGとJOKERのLPから起こしたテープを送っていただきました。

結論から書くと、ARCHIPEL盤は既出のWG盤(WG30003)・JOKER盤(SM1337)とまぎれもなく同じ録音です。
発売音源からいってほとんど同系列のI MAESTRI DEL SECOLO盤もおそらく同様でしょう。
番号がわからないので載せていないARTEMIS(LP)も同系列です。

一緒にお送りいただいたジャケットによると、WG盤には録音年月日が記載されていません。
JOKER盤は53年とのみあります。

既出盤と同音源だからといって、これが必ずしも戦後初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団指揮である53年9月8日の演奏なのか、そもそも本当に戦後初指揮は9月8日で正しいのかは不明なのですが、少なくとも今回のARHIPEL盤がぽっと出の初出音源でないことがわかっただけでも収穫です。
いまのところ確認できるのは、これが精一杯。

なお、ARCHIPEL盤とWG盤には開始前と終演後に拍手入りますが、JOKER盤には両方入っていません。
ARCHIPEL盤は第2楽章冒頭がわずかに欠落していますが、JOKER盤・WG盤にはいずれも欠落はありませんでした。

JOKER盤・WG盤の音源については、Yさんにご提供いただきました。
どうもありがとうございました。

▲UP6月21日

『レコード芸術』7月号

音楽之友社の月刊誌『レコード芸術』7月号を買ってみました。
今年の没後15年にめがけ、「ヘルベルト・フォン・カラヤン2004」という特集が掲載されています。

内容はジャケット・ギャラリー、批評家による想い出集のようなものと、ディスコグラフィーです。
ディスコグラフィーは佐々木豊氏による『カラヤン全軌跡を追う』に掲載された版の補追するかたちのものがジャケット画像・解説入りで6ページ、最小限のデータだけを扱った総体が13ページとなっています。
『全軌跡を追う』の前身である「名演奏家ディスコグラフィー」には、非正規契約盤についても記述がありましたが、今回掲載されたのは正規契約盤のみとなっています。

『全軌跡を追う』にはどれほどお世話になっているかわかりません。
表紙のビニール部分ははがれ、ページは手垢で真っ黒、ディスコグラフィーの部分はすっぽり抜け落ちてしまったので、もはや書物として成立しているとはいいがたく、ほとんどカヴァーにはさんでいる、といったような状態です(w。
この本や『philharmonic autocrat』の助けによって、このサイトのディスコグラフィーは成立しているのですが、頻繁に更新できるわけではない紙ベースと違い、こちらは折々に追加しています。
確認したところ、今回の補追版でこのサイトに掲載されていないものはありませんでした。
60年代の映像作品のおまけについては、もともと発売されない限り掲載しないつもりです。
《トロヴァトーレ》のインタヴィューは聞き落としたのかなぁ。

逆に、このサイトのディスコグラフィーに載っていて、追補版に載っていない既発売の正規契約資料には以下のようなものがあります。

あくまで正規契約のものです。
CD-RやDVD-Rを中心とした非正規契約盤は数え切れません。

また、ページ数の問題からか、『Herbert von Karajan 1908-1989 A Portrait』『マエストロ、マエストロ! カラヤン[完全版]』については、これらをドキュメンタリ作品として掲載するのみで、収録されている個々の映像断片については触れられていません。
個人的には日づけ不明なこれらの断片にこそ、日づけを与えて掲載できる助けとしての活躍を期待していたのですが……
この2つのドキュメンタリ作品に収録されている映像で、Filmographyに掲載してあるのは以下の通りです。

ざっとこんな感じでしょうか。
批評家の随筆集は読んでいませんし、13ページに渡るディスコグラフィー総体にはまだよく眼を通していません。

以上、今回の『レコード芸術』の特集については、あむろさんに教えていただきました。
どうもありがとうございました。

なお、『カラヤン全軌跡を追う』はすでに絶版です。

▲UP6月18日

Classical Video Raritiesの新譜

いい加減にして、といいたくなるClassical Video Raritiesの新譜。

with the NHK Symphony」が全ての指揮者にかかっているのなら面白そうですが。

注文済み。

▲UP6月14日

『GREAT CONDUCTORS OF THE 20 CENTURY』

EMIより発売された『GREAT CONDUCTORS OF THE 20 CENTURY』の第36弾、「HERBERT VON KARAJAN」を確認しました。

紙のカヴァーに収まった1枚用の厚みのケース、2枚組のCDです。
発売はEMIですが、選曲及びブックレット制作はIMG Artistsとなっています。

このシリーズは今回が最終回だそうで、フルトヴェングラーやトスカニーニもほぼ同時発売です。
よくあるベスト盤、であれば買わないのですが、シリーズの特徴として、それぞれの指揮者の貴重な音源が含まれています。

カラヤン盤の目玉は何といっても53年12月5日のウォルトン:交響曲第1番です。
カラヤンはウォルトンの《ベルシャザールの饗宴》について、「過去50年来(注:だいたい20世紀前半のこと)に書かれた最高の合唱曲」と言ったそうですが、録音は残っていません。
交響曲第1番を振ったのは、Concolorさんの『Herbert von Karajan dirigiert Anton Bruckner』によると、この日だけだそうです。
この日の放送記録は以前より『philharmonic autocrat1』で知られていましたが、よくぞ残っていたものです。

RAI保存のアセテート盤からの板起こし。
音質はまあまあでしょうか。
曲そのものが、たとえばR・シュトラウスや、今回のCDのこの曲のあとに収録されている《展覧会の絵》のように、モノラルでは魅力が半減するタイプですし、アセテートからの板起こしですから、EMIはよくやっている方だとは思いますが、現在の技術からしてこれが最上の結果とは思いません。

カラヤンはレッグを通してウォルトン夫妻と仲が良かったそうです。
交響曲第1番については、レッグからフィルハーモニア管弦楽団とのスタジオ録音の提案があり、カラヤンはそれを了承したものの、一部オーケストレーションの手直しをウォルトンに迫り、ウォルトンがこれに応じなかったため、計画は取りやめになったそうです。
先述のようにカラヤンがこの曲を採りあげたのは53年12月5日だけですから、今回のこの音源に間違いないのですが、イタリアでカラヤンがこの曲を振り、ラジオ放送までされたのに、事前にウォルトンにそれを告げるのを忘れたため、演奏を聴くことができなかったウォルトンは激怒したと伝えられています。
以上はオズボーンの『ヘルベルト・フォン・カラヤン』にありましたが、今回の盤の解説にもほとんどそのまま書かれており、驚いていたら、最後にオズボーンの文章だと知りました。
『ヘルベルト・フォン・カラヤン』以来、カラヤンの権威といえばオズボーンということになりましたね。

他、あまり意味はありませんが、今回のCDに収められている録音をまとめて以下に挙げておきます。

まあウォルトン以外、めぼしいものがなさ過ぎですね。
せめて小品たちはCD化されていないモノラル盤から持ってきて欲しいところでした。

以上、『GREAT CONDUCTORS OF THE 20 CENTURY』についてでした。
Liveウォルトンを追加、Indexでは久しぶりに作曲者名が増えました。

▲UP6月13日

ARCHIPELのARPCD 0259

ARCHIPELから発売されたCD、ARPCD 0259を確認しました。

このCDにはベートーヴェン:交響曲第3番《英雄》ブルックナー:テ・デウムが収録されています。
いずれも既出音源ですから、普段だと番号を追加するだけでなのですが、発売前のアナウンスや実際の盤の《英雄》の日付が間違っているようなので、ここに書いておきます。

今回のARCHIPEL盤のジャケット表に「Karajan's very first concert with Berlin Philharmonic after the war」とあるように、この《英雄》はカラヤンのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団戦後初指揮である53年9月8日のものと思われます。
ところがどういうわけか、ARCHIPEL盤には28日の表示があります。
28日としている資料を探してみましたが、見つかりませんでしたし、ARCHIPELが解説に日付について何か書いていることを期待しましたが、それもありません。
いままで戦後初指揮の日付が間違っていたとは考えにくいですから、おそらく従来通り8日が正しいのだと思います。

ひどくもどかしいことに、8日としている既出盤をひとつも持っていないので、中身の比較・確認ができません。
これはいずれ私が既出盤を手に入れたら、あらためて報告することとし、いまのところ《英雄》については、既出盤と同じ8日としておきます。

音質は両曲とも劣悪です。
《英雄》は第2楽章冒頭がわずかに欠落しています。
テ・デウムは既出のARKADIA盤と比べてあまり変わっていません。
ジャケット裏に「REMASTERED WITH 24 BIT ISSUED FROM SUPERB SOURCE」と書いてありますが、好意的に見て誤植、一般的な言い方をすれば嘘つきです。

以上、ARCHIPELの新譜CDについて、データベースにジャケット画像・タイミング・番号を追加しました。

カラヤン・センターの企画

日本に住んでいる限り、ほとんど何の関係もないのですが、カラヤン・センターでのとある企画について。

Fokus Furtwängler
Herbert von Karajan Centrum内)

カラヤン・センターなのに、フルトヴェングラー特集(w。
ディスカッション、上映会などがあるようです。

▲UP6月9日

「凛として」

『産経新聞』の「凛として」(関厚夫)という連載記事が、6月7日づけ朝刊で田中路子を扱っており(「東洋の歌姫 田中路子〈1〉」)、そのなかにカラヤンに関する証言が紹介されています。
部分を引用しておきます。

(前略)

(田中路子の発言)「第二次世界大戦の戦況がいよいよおかしくなってきたときにね、たくさんの人をうちの地下室にかくまっていたのよ。それでね、ノリオさん(引用者注:大賀典雄)、その中にいまから会うヘルベルト(フォン・カラヤン)もいたのよ」

(中略)

大賀は路子の交友範囲が広いことは知っていた。それでも半信半疑で話を聞いていた。
二人はベルリンの中心部にあるサボイ・ホテルでカラヤンと落ち合った。緊張のあまり、思わず直立不動の姿勢を取る大賀をよそに、路子とカラヤンは親しげに話し始めた。その様子はまさに、苦楽をともにした旧友の再会だった。
路子の話は本当だ。大賀はそう感じた。

(中略)

路子は夫のドイツ屈指の名優ビクトル・デコバとともにベルリンの北西部に住んでいた。豪奢な建物と広大な敷地は、戦局の悪化にともなって、ナチスから逃れたり、焼き出されたりした演劇・映画人らの"駆け込み寺"となっていった。そのなかに、当時すでに「国家指揮者」の栄誉を得ながら、軍の招集を嫌った、カラヤンの姿もあった。

(中略)

「(引用者注:敗戦後進駐してきた)ソ連兵に、(オペラの)『蝶々夫人』の『ある晴れた日に』を披露したこともあったわ。そのときは、ヘルベルトは地下室でぶるぶる震えていたのよねえ」
後年、路子は「息子たち」の一人にこう語ったことがある。
カラヤンが路子邸に身を寄せていた時期があったことは確かだ。しかし、各種の伝記によるとカラヤンは終戦の数週間前にイタリア・ミラノに逃れていたことになっており、ソ連兵が姿を見せるころに「ぶるぶる震えていた」という逸話とは矛盾する。
路子には話を誇張するくせがあった。このときに限っては少し脚色したのかもしれない。
いずれにせよ、路子は気むずかしいことで知られたカラヤンと周囲が驚くほど親しい関係だった。路子は「絶対非公開」である帝王の練習場にも気軽に顔を見せた。が、六〇年代以降、カラヤンは次第に路子を避けるようになっていった。
このころ、カラヤンの神格化が進む一方で、路子の人生はゆっくりと下り坂に向かっていた。が、路子はさして気にもしていない様子だった。
「だってあの人、わたしと仲のよかったアニータと別れちゃったんだもの。新しい奥さんは、前の奥さんの友達を気に入らないものなのよ」

新聞記事の常で、女性としては少し違和感のある喋り方をしていますし、表記に矛盾もありますが、ちゃんとオチもついている文章でした。
戦後すぐのカラヤンについては、記事にもあるように、イタリアへ逃れていたというのがたぶん正解で、その時期、エドゥイン・フィッシャーが何故か匿名で援助してくれたという話もあります。

昨年、『日本経済新聞』の「私の履歴書」を大賀典雄が書いたときにも、田中路子やカラヤンについての記述があったものでした。

  1. 大賀典雄の「私の履歴書」 - 日本経済新聞(030101)
  2. 大賀典雄「私の履歴書」(030109)
  3. 大賀典雄「私の履歴書」・3(030122)

以上、新聞記事からでした。
今回の記事についてのお知らせと資料提供はAntonさんによります。
どうもありがとうございました。

▲UP6月6日

MYTO盤の《カルメン》

数日前、54年10月8日の《カルメン》が、MYTOから発売されることを知りました。
全然珍しい録音ではないので、他の多くの場合と同じように、番号を追加しただけでここには書きませんでした。
ところが昨日、アリアCDさんを見ていたら、この盤についてちょっと引っかかる記述を見つけました。

随時更新 新譜(5) 6/4更新

オリジナル放送録音より収録」とあります。
よく意味がわかりません。
コピーや孫コピーではない、「オリジナル」の個人蔵テープということなのでしょうか。
まさかORFあたりからかっぱらってきたということではないでしょう。

この録音、ここ数年で発売CDがずいぶん増えました。
非正規契約での発売が多数ある録音は、そのうち正規で発売される可能性が高いのですが、今回のMYTO盤は意味がわからないというただそれだけの理由で、店頭で見つけたら買ってしまうかも知れません。

なお、現在アナウンスされているこの音源の発売には、もう1種、URANIA盤があります。

参考リンク:(HMV内)

▲UP6月3日

第2次アメリカ公演の広告

1955年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との第1次アメリカ・ツアーのポスターというのは、いろいろな書籍や映像作品でしょっちゅう見かけるのですが、56年の第2次ツアーのときの広告というのは初めて見た気がします。

1956 Herbert Von Karajan photo Berlin tour booking ad

このサイズだと、ポスターなのかチラシなのか微妙ですね。
左上のカラヤンの写真はデザイン優先の反転でしょうか。

ちなみに同じ出品者の出品物をkarajanで検索すると、《こうもり》(2回目)のガラ・パフォーマンス盤の広告が引っかかります。

1960 Herbert von Karajan photo Fledermaus Gala ad

ニコライ・ギャウロフ(1929.9.13〜2004.6.2)

60〜70年代の「カラヤンのバス=バリトン」といっても差し支えないニコライ・ギャウロフが亡くなりました。

【訃報】ニコライ・ギャウロフ/バス
THE MOSTLY CLASSIC【産経新聞】内)

カラヤンとの協演盤には以下のようなものがあります。

ギャウロフとカラヤンの協演盤

スタジオ録音のキャストが入っていないので、ライヴ録音映像作品のみとなっています。

一般的に、カラヤンとの代表作は《ボエーム》ということになるのでしょうか。
72年盤のヴェルディ:レクィエムも良いかも知れません。
私の場合、登場シーンが極めて少ないのですが、《ボリス・ゴドゥノフ》です。


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